ThirdHerd75の歴史
このページは Maynard山崎による同志社大学The Third Herd Orchestra(1975年度)についての独断と偏見の随想録です。

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    後書:何分もう四半世紀前のことですので、勘違いや誤記事が ありましたらMailにてお知らせください

 CONTENTS
春期演奏旅行 オリエンテーション 民謡民舞大会
文連 OB会 合宿
夏期演奏旅行その1 とんだら「戻る」をクリック 山野コンテスト
ダンパ 立教祭 京都6大学
同志社EVE Live At Santa 第26回定演
 

 1975年(昭和50年)は今よりもっとゆっくり時が流れていたような時代でした。
出来事 ベトナム和平 :4月にベトナム戦争が終結。
エリザベス英女王来日
沖縄海洋博開催
日本女性エベレスト初登頂
3億円事件時効
社会 暴走族、ツッパリ、赤ヘルブーム、紅茶きのこ
使い捨てライター チルチルミチル
政治 第1回主要国首脳会議(サミット)
流行語 「アンタあの娘のなんなのさ」(ダウンタウンブギウギバンド)
流行語「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の中のせりふ
「おじゃまむし」
「オヨヨ」(桂三枝)
「ガキデカ」で主人公のこまわり君
「中ピ連」
出版 播磨灘物語(上中下)(司馬遼太郎)
欽ドン1・2(萩本欽一)
犬神家の一族(横溝正史)[角川文庫]
まっことちゃん(楳図かずお)
がんばれ元気(小山ゆう)
鳴呼!!花の応援団
テレビ アニメ フランダースの犬
アニメ まんが日本昔ばなし
ドラマ 俺たちの勲章
バラエティ 欽ちゃんのドンとやってみよう
ロックフォード氏の事件メモ The Rockford Files
テレビ三面記事・ウィークエンダー
ドラマ 刑事コジャック Kojak
ドラマ 俺たちの旅
連続テレビ小説 おはようさん
プロポーズ大作戦
CM 「ワタシつくる人、ボク食べる人」
「今日はちかれたなー」「ああ、ちかれたびー」
「アイム・ア・チャンピオン」
「ホッカホカだよ、おっかさん」
映画 日本
金環蝕
化石
男はつらいよ・寅次郎相合い傘
新幹線大爆破
外国
カッコーの巣の上で(米)
JAWS・ジョーズ (米)[監督:スティーヴン・スピルバーグ]
ピクニック at ハンギングロック(オーストラリア)
音楽 昔の名前で出ています(小林旭)
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(ダウンタウンブギウギバンド)
シクラメンのかほり(布施明)
心のこり(細川たかし)
いちご白書をもう一度(バンバン)
時の過ぎゆくままに(沢田研二)
およげ!たいやきくん(子門真人)
木綿のハンカチーフ(太田裕美)
 


 1975/03/15 春季演奏旅行
出来事 F年が卒業して(あくまで軽音を・・大学はG年もA年も) 新しいC軍での初めての演奏旅行でした。 今もそうでしょうがいつの時代もF年が抜けた後はンバー構成が大変で、この時もリズムが全員代わりまたボントロが2人しかいなく、卒業されたK村さんにトラ来ていただきました メンバー全員K村さんには感謝の念と『何で演奏旅行に来れるん?会社ビークになったんちゃうん?』という思いでいっぱいでした?
3月15日・3月20日
岡山県津山市(3/15)・鳥取県米子市(3/20)
1:Day in Day out
2:My Funny Valentin
3:Miss Fine
4:If I were A Bell
5:Bedroom's Eyes
6:Ahunk Ahunk
総評 サドメルのAhunk Ahunkは五拍子でTPのローソを私が吹いたのですが、あまりのひどさに今でも同期のO崎(Bass)からは、『なんやねん//あの ローソは ドレミファソラシド・ドシラソファミレドやんけ』っと・・・まったくその通りでハイ
追記 当時サードハードはF年を中心にしたC軍とE年(次期C軍)中心のD軍がありました。またバンドマン言葉が多く出ますが、だいたいは反対 から読んでいただければ、おわかりいただけると思います。またCは1でDは2と数えていただければ 詳しくはJasrac All Starsさんの バンドマン用語辞典 http://www2.tky.3web.ne.jp/~kariya01/yougo/yougo.htm をご参照ください
 


 1975/04/07 オリエンテーション
出来事 新規C年がサードハードに入部 TP:3人 TB:1人 Sax:2人 Piano:1人 Drums:数名
4月7日
今出川校舎
1:April In Paris
2:Big Mama Cass
3:Back Rush
4:Ahunk Ahunk
総評 TBが入ったので何とかボントロは3人体制で
追記 山野BBコンテストの参加についてF年会議を行い (W田・W田K・Oけ・A山・O崎・山崎)激論の末? 全員一致で可決・・・ というかO崎が当時(今でも?)イーチ゛で(逆に読んで いただければエーットいわゆるおしりの・・)たまらなく 会議が長くならないよう『そんなん出たらええねん』の 一言で決まる・・・ これが同志社サードハードが記念すべき山野コンテスト 初出場の真相である あのときO崎がイーチ゛でなかったら、山野出場はなかったかも?
 


 1975/05/11 民謡民舞大会
出来事 山野BBコンテスト出場のためのネーカ稼ぎに(東京への交通費等)得意の口で私がGetしたバイショウで何と当時のネーカでD十万・ハハハ 内容は三味線等のバック演奏で曲は15−16曲メンフあり、難しければリズムのみのバックでOKとこれでD十万はおいしいと自分の営業能力(ラッパ は下手でしたが)のすごさを、メンバーに自慢していたところ 実際は曲は21曲、メンフというのは三味線の何度上がりとかで五線譜じゃなく、全曲フルバック演奏にエーッ??聞いてないよー それからが聞くも涙語るも涙で1人1−2曲カセットに入った三味線を聴いてフルバン用バックリフ作成作業が始まったのです(21曲)。山野の曲も決めなければならないのに、こんな事やってる場合かよ 一言:社会は甘くはないハイ
5月11日
京都会館第2ホール
1:大島アンコ節
2:ソーラン節
3:関の五本松
4:新相馬節
他全21曲
総評 メンバーより非常な罵声を(2度とやらない)浴びせられたにもかかわらず、11月にもやってしまうという(ネーカのためとはいえ)優柔不断さがサードハード的サ−ドハードなのだ
追記 なんだかんだと言っていても結構それなりにメンバー全員が初めての経験に楽しんでいたようであるが:この民謡民舞大会で、司会者がサードハードを紹介した言葉は今も忘れない名言である【民謡のバックバンドをやらせたら日本一のバンドです】な、アホナ・・民謡で日本一じゃなくて山野で一番に・・
 


 1975/05/19 文連祭
出来事 文連祭って文化クラブの総合の発表会?だっけ とにかく当時毎週くらいどこかで演奏していたような 県連ってのもあったような
5月19日
同志社大学学生会館ホール
1:Switch In Time
2:I Can't Stop Loving You
3:Queen Bee
4:In The Mood
総評 民謡民舞大会も終わりこれから山野に向けての探しと練習に
追記 山野の1曲に【La Fiesta】を決定したのですがメンフがなく、先輩で採譜ができる方がいて急きょ頼むことに が:これが当時は景気のいい時代で、その方も京都のクラブ等で吹かれていて、お忙しい方でしたので私が あるクラブの楽屋(これがまた汚いなんてもんじゃ無い ほど汚く・・有名クラブでしたが・・)で待つこと数時間やっとお会いする事ができ涙ながらに御願いしたしだいです ホッ今のようにインターネットがあれば簡単なんですが
 


 1975/06/01 OB会
出来事 年に一度のOB会には往年の名?プレイヤーが そろい、現役もOBも一緒になってSwingの競演(饗宴?)を
6月1日
京都タワーホテル
1:InThe Mood
2:Miss Fine
3:I Can't Stop Loving You
4:Flight Of Foo Bird
総評 何分毎年超OBがそろい、現役の演奏に何を言われるかわからず、ただただ早く終わることを祈っていたあの頃です
追記 夏の軽音楽部演奏旅行が8月16日(福山市) 8月28日(和歌山市) 8月29日(御坊市)に決まる・・・・ 山野の曲の採譜(La Fiesta)が7月になりそうで また8月30日・31日が山野コンテストなのに29日まで 演奏旅行でエーッできるん??
 


 1975/08/06 合宿
出来事 演奏旅行・山野に向け夏合宿が飯山にて・・ これは演奏レベル向上を目的とする事を・・云々は あくまで表向きであり、その実体はなんとF年がC年を毎夜一人ずつ部屋に呼び入れての演芸大会・傍若無人・酒池肉林・青息吐息?が延々と一週間も続くわけでこれはもう地獄絵図のような ま、つまりF年の積年の鬱憤をはらす・・・・・ これ今やったらえらいことでっせ(今もやってるかな?)photo
8月6日ー8月12日
長野県飯山市
1:Opus De Funk
2:Sonny Boy(VO)
3:La Fiesta
*3曲が山野コンテスト用*
4:I Feel Pretty
5:Just Friends
6:That Warm Feelings
総評 1週間におよぶ合宿を死傷者?もなく無事に 終え演奏旅行・山野に向けスタートを切る
追記 7月10日にLa Fiestaの採譜ができたのですが 今考えると、1か月ちょっとの練習でこの曲を山野でやったわけで、やっぱ学生時代は暇だった??
 


 1975/08/16 08/28 夏期演奏旅行
出来事 合宿も終わり16日より演奏旅行・山野と 連続の演奏会でした photo
8月16日 8月28日 8月29日
福山市(8月16日) 和歌山市(8月28日) 御坊市(8月29日)
1:I Feel Pretty
2:Just Friends
3:That Warm Feelings
4:Opus De Funk
5:La Fiesta
総評 何と28日・和歌山でLa Fiestaは止まりそうになるし、Opus De FunkのEndingは(ブルース)ずれて終わるし・・・ えらいこっちゃもう山野は目前なのに・・
追記 29日の演奏旅行が終わり明日の(30日)山野(東京行き)の準備のため、コンマスのW田と2人彼の車でメンバーより早く京都に行くため演奏会終了後の深夜に御坊市をでたのですが、あまりの疲れで気持ちが悪くなり泊まる事に・・・ところが Love Hotelしかなく(今から考えたら気も狂わんばかりに気持ちが悪い事ですが・・その時は・・あまりに状態がひどく普通のHotelを探せず・・)2人で入り私はあまりに調子が悪かったのでしばらく寝ていたのですが、少し良くなりベッドからおきて見ますと目の前でガラスバリの(Love Hotel ですから当たり前ですが)お風呂に入っているW田の姿を見て、また気持ち悪くなった事が・・・
ホンマにアホですわ
 


 1975/08/31 第6回山野Big Band Jazz Contest
出来事 同志社大学 The Third Herd Orchestra
最優秀賞(優勝)
K邦宏:最優秀ソリスト賞(Piano)
Oエリ:審査委員賞(Vocal
8月30日 AM12:00-PM8:00 8月31日 AM12:00-PM8:00
中野サンプラザホール
1:Opus De Funk
2:Sonny Boy(VO)
3:La Fiesta
総評 山野Big Band Jazz Contestに 初出場で初優勝する事ができ審査委員からも 【曲の選択はすばらしく、Jazz Feelingの あふれる申し分のないすばらしいBand】という評価をいただき嬉しさのあまり舞台で トロフィーを受け取るときに大泣きに泣いて (ゲストのブルーコーツの皆さんももらい泣き ・・してないしてない・・笑ってました??) 後々【涙のバンマス】でとおってしまいました photo
追記 4月ごろのF年会議で山野出場を決めてから あっという間でしたが、そのころどういう訳か 私は【山野で優勝して舞台で泣くねん】と言っていまして、みんなからは【何言ってんねんアホ/】と・・・が:それが現実となり本当に不思議な・・ 後から聞いたのですが、VocalのOエリちゃんが 歌いはじめた時、審査委員席にどよめきが・・ やっぱうまい人は違うね// で:涙でトロフィーを受け取り楽屋に戻った時にO崎が【アホカお前泣きゃーがって】っと でも私ははっきり今でも覚えていますO崎の目が真っ赤だった事をそうそう1976年もThird Herdは優勝(連続)してまして、今は亡きいソノてるヲさんが当時を【同志社旋風】とおっしゃられたようです
 


 1975/10/09 Dance Party
出来事 当時いろいろなダンパがありThird Herd もネーカ稼ぎに東奔西走の日々でした
10月9日
京極東宝
あるだけ
総評 いろいろなダンパ等がありどこでなにが あるのか分からない状況でした
追記 ダンパの楽しみは演奏しながらレイキなジョノカ を見つけることだけに(失礼・・一生懸命演奏してた方)全勢力を傾けていました。。ハイ
 


 1975/11/09 立教祭
出来事 私より2年上のS先輩の時代から東京の R大学(名前は伏せることにしますが仮に 立教大学としておきます・・・)との交流が はじまり、お互いの学園祭に出演することに photo
11月1日
R大学
あるだけ
総評 とにかくR大学の学園祭は花の都東京の池袋 これはいいよね// サードハード全員授業さぼって? 大東京へGoですわ が;私のような文系はよかった?ですが理系は・・ F年で卒業できたのいたっけほとんどG年・A年まで
追記 サードハードもいろいろなバンドと交流をしていましたがどういう訳かこのR大学の【New Swingin' Herd】と相性が良く、毎年レベルを競い合い(演奏レベル ではなく、夜の大演芸大会の)一進一退の状況 でした・・・ハッ?
 


 1975/11/14 京都6大学
出来事 年に一度京都の6大学Big Bandが集まり 行われる・・第5回Big Band Festival
11月14日
京都府立勤労会館
1:On A Clear Day(課題曲)
2:Opus De Funk
3:La Fiesta
4:Just Friends
総評 6大学

龍谷大学       Swing Orpheans
京都工芸繊維大学   Swing Raiders
京都産業大学     Prairie Schooner
立命館大学       Swingin' Herd75
京都大学       Dark Blue New Sounds
同志社大学       The Third Herd

4回生         Special All Stars

追記 年に1回各大学の成果の発表会です
 


 1975/11/27 同志社EVE
出来事 同志社大学の学園祭ですが 私より2年上のS先輩の時代から東京の R大学(名前は伏せることにしますが仮に 立教大学としておきます・・・)との交流が はじまり、お互いの学園祭に出演することに
11月27日−11月29日
同志社キャンパス
あるだけ
総評 R大学の学園祭の時とは逆で今度は R大学【New Swinging Herd】のメンバーが 同志社のEVEに出演するため、遠路はるばる 東京より来京
追記 ま、いけいけどんどんの両校の演奏でした
 


 1975/12/01 LIVE At SantaClaus
出来事 今はもうないと思いますが、丸太町東大路東入ルにすてきな Live House【SantaClaus】がありここでR大学と Joint Live が行われました
12月1日 PM:7時−10時
SantaClaus
1:Opus de Funk
2:Bedroom's Eyes
3:This Way
4:Night Train
5:Red Roses for Blue Lady
6:La Fiesta
総評 サードハ−ドは昼は同志社中学同窓会で のバイショウ、夜はSantaでのJoint Liveそして 極めつけは、AM:1時から5時までのR大学 との打ち上げ大演芸会と //// さすがに体もガタガタでしたi
追記 今でも忘れませんが、Third HerdとNew Swingin' との大演芸会はそれはもう筆舌に尽くしがたいほど 滅茶苦茶なもので、とにかく宴会後はどのお店から も【お前らには二度と使わせないから・・・と】 いつもいつも幹事の方ご苦労様です・・って俺だよ いつも  クウー涙涙
 


 1975/12/19 第26回定期演奏会
出来事 1975年度最後の演奏会 第26回同志社大学軽音楽部定期演奏会
12月19日
京都府立勤労会館
1:Opus de Funk
2:Be Bap And Roses
3:Sonny Boy(VO)
4:What's Going On(VO)
5:La Fiesta
総評 定演から四半世紀が経つとは思えないこのごろ です。ネットのおかげで諸先輩方や同期・後輩 また現役の学生さんともMail等の交流ができ 本当に不思議な気持ちです。 このThird Herd '75は偶然にもかつての資料が 出てきまして、かすかな記憶とそれを元に 書くことができました。 当時の事で誤った表現や誤記事等あるかと思い ますが、何分四半世紀も昔のことですので お許しをいただければと思います
追記 最後までThird Herd' 75をお読みくださって本当にありがとうございました・・ お読みになってのご意見・ご感想や同じ頃に Big Band等をされていらっしゃった方からのMailを いただければ幸いです

1975年度 The Third Herd Orchestra BM 山崎 広